作曲家。1979年、東京生まれ、横浜在住。十代の頃より音楽に興味を持つ。東京音楽大学作曲科卒業、IAMAS(情報科学芸術大学院大学) 大学院修了。2006年より方法マシンの代表としても活動。京都ビエンナーレ(2003)、文化庁メディア芸術文化祭(2009)ほか内外でも発表。代表作の「音楽映画」シリーズは、2009年のヨコハマ国際映像祭でも初のパフォーマンスとして発表された。
音楽映画に関してよくされる質問で、一体何でこのような表現を思いついたか聞かれることがよくある。
ある日の昼下がり、バイトの休憩で煙草を吸っていた時だった。
そこは駅前に建つ適度に賑わうスーパーの前。
目の前を通り過ぎて行く人々。
かごが買い物で一杯になった自転車をこぐおばさん。
スーパーの入り口でお茶を売る人。特価品の値札が目立つ。
母親に必死で追いつこうと走る子供。
背中が曲がり、10m歩くのも大変そうな老人。
買い物カートの列を運ぶ従業員。
そして、全ての視界を遮るように横切るトラック。
トラックが通り過ぎると、そこには誰もいない。
一瞬間が空いた後、またすぐに人が通り過ぎる。
こんどは電車が到着したのだろうか、駅から流れて来る人の波が目の前を通り過ぎる。
当時この様な風景をボーッと眺めていた僕は、ふとした瞬間に目の前に見える風景を言語化していることに気付いた。正確に言うと、"自分の持つボキャブラリーの範囲"で目の前の風景を言語化していた。目の前の風景は写真ではない、時間と共に刻々と変化していく。目の前で繰り広げられる言葉の流れを頭で思っているうちに、なんらかの秩序が生まれたと勝手に考えた。僕はそのなんとなく目の前に現れた言葉の秩序を自分の手で構成し、確かな物にしたいと思った。刻一刻と変化してゆく光景を"固定し確かめる"ために僕はカメラを構えた。そして、撮影された映像から聴こえる(想像の上で)言葉に耳を傾けた。言葉を口にしたら、それは音声になった。音響を時間軸上に構成することを作曲と呼ぶのなら、このようにして生まれたものを作曲された音楽作品と呼んでよいのではと考えた。幸運なことに、現代は技術革新が進んでおり、僕みたいにカメラをさわったことのない者でもカメラを扱うことができたし、編集も簡単に行える時代だ。僕は中古で買ったビデオカメラで撮影を始め、コンピュータにはじめから付属している動画編集ソフトで編集をした。これが、『音楽映画』のはじまりだった。
『音楽映画』は当時の僕にとってとても手応えのある試みとなった。音楽映画という名は映画音楽を反転した名前だ。当時の僕は、映画のBGMでもないのに映画音楽みたいな音楽にムカついていた(映画のBGMは音楽としてスルーしていた)。映画のBGMでもないのに映画音楽みたいな音楽というのは、すでにありそうなイメージを容易に想起させるような音楽だ。それは映画のようにストーリーがあるイメージだけでなく、iTunesビジュアライザ(あんなもん最悪だ!)を代表とする様な抽象的な映像をイメージさせるような音楽も同様だ。音楽家は映像の力に想像力をだいぶ浸食されていってると感じていたし、自分自身もそうだと思っていた。音楽によって何かをイメージしてはならないわけではない。音楽は、見えざる世界を見せる芸術だ。音楽を聴き、トランスする感覚というのはそういうことだ。しかしそれが映像によって可能なら、音楽など必要ない。映像によって見せられるイメージを超越してこその音楽であると僕は考える。現代音楽と呼ばれるような新しい音楽を生み出していく分野ではなおさらだ。僕は、「音楽映画」という試みにより、目には目を、歯には歯を作戦で、映像に対して音楽側からの戦いを仕掛けたのだ。それで、一人でも多くの人々を映像によるイメージの呪縛から救い出そうと考えたのだ。そうやって勝手に僕一人の一方的な『音楽映画』という名の聖戦が始まった。
(作家のブログより)
世界を人間がスキャンすると言葉になる。
言葉を声にするとリズムが生まれ、音楽になる。
(ヨコハマ国際映像祭のちらしより)
―http://taro.poino.net/img/cream-musicinema.jpg
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