まずは、この3つのビエンナーレについて総括的に違いと要約をお話いただき、続いてホウ・ハンルがディレクターを勤めたイスタンブールビエンナーレについて映像が始まりました。サブタイトルの中での、Not Only Possible, But Also Necessary: Optimism in the age of Global Warが今回20周年、10回目をむかえるイスタンブールビエンナーレのテーマですが、まさに市場のグローバリゼーションと実際の戦争や紛争をテーマとした今日的な作品が数多く見うけられました。同時にイスタンブールという場所に存在する文脈に関わったり、現地の貧しい地域や人々を巻き込むような作品もありました。また今ホットな作家や国際展の常連アーティストが数多く見られました。
次に第一回目のアテネビエンナーレは、全くイスタンブールビエンナーレとは異なる枠組みで構成されていました。市原氏によれば、最近は物語性を排除するような作品が主流だけれども、あえてビエンナーレ全体の構成を破壊をテーマにした物語に持ってきているということでした。9.11を思わせる多くの建造物が崩れ去る導入部から、破壊の美しさ、醜さ、そして無(小羊の死体が波に打ち寄せられる映像の作品)と、全作品を6つのパートに分け、それぞれをday 1からday 6としています。全体によってある物語にする、というこれまでの国際展では見られなかった方法は、ギリシャ在住の3人のアーティストとキュレーターによって作られました。アーティストもギリシャの若い作家や、比較的無名に近いアーティストを多く参加させています。テーマは、Destroy Athensです。 今回の企画に作品イメージの使用をミアカに許可してくださったthe erasersも参加していました。
リヨンビエンナーレは今回60名のアーティストやキュレーター、クリティックにこの10年間でもっとも重要だと思う作品を選んでもらい、それらを展示するという方法でした。この選定方法を“ゲーム”と呼び、これによって最近10年間の歴史について語れるだろうという新たな国際展の形です。テーマは、“まだ名前のないこの10年間の歴史”です。市原氏によると、方法自体は画期的ではあるが、展示方法のせいかばらばらな印象だったそうです。しかし興味深い試みであることには変わり有りません。
今回はミアカでのレクチャーということで、映像作品を多くご紹介いただきましたが、特に意図せずとも光と動き、音を要素に持つ映像という媒体は現代美術の中でますます重要な地位を占めています。今回の3つの国際展の作家名を見てもそれは明かに思えました。 いらしてくださった皆様、ご協力いただいた皆様ありがとうございました。
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